まとめ

・子供の命名は成長しながら決めてもいいのではないか

・今は行動の時代。確かにこれまでは名前が人を作るという考えも良かったかもだが、行動の時代なら名前も後で良いのでは?

・行動の時代において即引っ越しが出来れば良いが、初期費用(イニシャルコスト)が高くて出来ない

・即引っ越しの出来るホームシェアリングは機動力の高い即行動人間を作るのでは?

名付けのタイミングは成長して行く段階でつけてあげてもいいのでは?

名付けをする時、赤ちゃんが生まれる前あるいは生まれてすぐのお七夜までに名付けをするという人は多いのではないか。
しかしかねがね思ってきたのが、 実際子供が生まれてきて、子供をしっかり観察してからの方が、よっぽどその子に合わせた名付けな感じがする、というものだ。つまり名前はその子がだあだあとハイハイでもしながら成長を感じた辺りにつけてあげてもいいのではないか、という事だ。

というのも、現代は思想よりも行動重視の時代とも言えるのであって、そのようなトレンドに乗ってみてもいいのでは?と思うからである。(思想より行動の時代、とは言い切れるかどうかは定かではないが、例えばGoogleの創業者ラリー・ペイジも「アイデア価値はなにもない」と述べ、思い立ったら行動する事の方が大切なのだ、と述べている。【引用:http://neutmagazine.com/idea_is_worthless)】)

名前が人を作る?──20世紀の西洋哲学的感覚

確かに、人は先に願掛けをする。

名前に限って言えば、その事によって先に物事にフレームを与えて、子供をそのような人柄や人物にすることが出来る、という可能性も十分にあり得る。

あなたは健康を願って健太になったの、と100回も言われれば健太はそう信じ切って本当に健康状態をキープし続けるかもしれない。まさにスパシー・・・プラシーボ効果である。

注釈)プラシーボ効果  読み方:プラシーボこうか 有効成分が含まれていない薬を投与され、機序がないにも関わらず、患者は薬が効くと思い込んでいることにより、病状に改善・回復の兆しが見られること。もっぱら思い込みの力によって実際上の効果・影響が表れること。「プラセボ」などとも言う。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E5%8A%B9%E6%9E%9C

その意味で、やはり先に物事を決めておく、という事の意義は十分に感じる事が出来る。

そしてこれは”言語が現実を作る”という20世紀の西洋哲学における「言語論的転回」という感覚に似ている。この「言語論的転回」とは至極単純に要約させてもらえれば、我々の思考(言語)は重要なものである、なぜなら生み出した思想こそが現実世界を形作っているのだから、と言う考えである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E8%AB%96%E7%9A%84%E8%BB%A2%E5%9B%9E

確かに思想によって世界が動いている点に関しては僕がどうこう言えるような問題ではない。しかしそのように大量に思想を量産した時代が終わり、思想が余り残ってしまうと、気づけば今度はまた一周サイクルが回って来て行動の時代がやってきたのではないか。そしてこの行動の時代においては、現実を作るのは実際に動いている現実であり、思想はそこを見て描写されるものに回帰する。

とまあそのように抽象的な話を続けていても意味がないので話を元に戻すと、そんな時代においては、名前とは先につけるもの、という考え一辺倒なのはもうそろそろやめてもいいのではないか、と思うのである。名付けを後にする、という選択肢ももう少し増えてみても良いのではないだろうか。(もっとも、日本においてまさに行動の時代だったとも言える戦国時代や平安の時代、あるいはもっと太古の弥生縄文の時代において、子供の命名というのが生まれる前から当然の事のように行われていたかどうか、人類学的見地からの文献が見つからなかったのでこの点においてあまり説得力がないのだが、見つかり次第、考えを改める事があれば記事を修正したいと思う)

引っ越しという行動も準備期間に色々考えるより、思い立った時にできれば良い。

さて、Google先生を作ったGoogleのラリー・ペイジ先生の言葉に習うとすれば、今は先に考える時代というより、行動を起こすことが重要な時代である。そしてもっと言えば行動は失敗をする可能性もあるのだから、行動しながら試行錯誤を加えていく時代なのだろう。

であるならば、引っ越しの計画、というのも、先に色々考えるより、まず飛び込んでみればいいのではないか。先に計画を立てて、万事が揃ってからようやく引っ越し、より、思い立ったら即引っ越し、というカタチが理想である。

しかし、それが難しい。それが今の時代の引っ越しの障害になっている初期費用(イニシャルコスト)の問題である。これが、人を即行動から妨げている元凶の一つだとも言えるのではないか。

即引っ越しで機動力の高い人間を作り上げる。─ホームシェアリングは高い初期費用や家賃の問題を解決する

人は学習をする。そしてそれは前進をする事と同じくらい、控えるという事を覚える可能性を持っている。

心理学の用語にも学習性無力感という言葉がある。この意味を意訳させてもらえば、人や動物は長期間困難な状況を余儀なくするともうその状況を乗り越える事が不可能だと諦めモードに入ってしまう、というものだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F

人は何かを変えたい、と思った時、その場の環境を変えたい、と思うものだ。(環境に変えられるような人間ではダメだ、環境にかかわらず自分で変われる意思を持たねば、という主張を持つ人は、環境こそまず変えるべきだと言う東浩紀の意見も参考にしてみてほしい 【東浩紀(2016)「弱いつながり 検索ワードを探す旅」幻冬舎文庫 https://www.amazon.co.jp/dp/B01J7Q5LB0/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1】)

そして環境を変えるのには、引っ越しという選択肢も当然考えられる事で、この引越が簡単に出来ないとそれこそ環境を変えるのも難しいわけであるのだが、残念ながら、この引越しというのが簡単に出来ない現実があるのである。何故なら、初期費用(イニシャルコスト)が若者にとっては高すぎるのである。

親の手助けをもらえない若者や自立的に何かをしたいと思う若者は多いはずだが、そういう彼らは引っ越し一つでさえ簡単にできず、「なんだそんな簡単じゃないよな」という不可能性に直面しては、その場に留まる事をを余儀なくされる。そして、どんどん行動への意欲を失っていってしまうのではないか。

そのようにどんどん行動出来る人間を作る為にも、即引っ越しが出来、どんどん環境の変えられる社会であれば、より人が活気づき、社会が活気づくのではないか。その為にも、僕はホームシェアの仕組みで、初期費用や賃料の問題を変化する事が可能だと考えている。

今引っ越そう、今人生を変えよう、そう思った若者がその時に行動出来るように、異世代ホームシェアリングという選択肢がもっと若者に支持されるようになってもいいのではないか。