目次
・青山七恵「ひとり日和」の概要(ネタバレ注意)
・芥川賞選考委員による評価
・異世代ホームシェアと「ひとり日和」
青山七恵「ひとり日和」の概要(ネタバレ注意)
雨の日、わたしはこの家にやってきた。
青山七恵「ひとり日和」河出書房新社 2007年 p3
青山七恵の『ひとり日和』は文句なしの名作だ。
物語はこの語り出しで始まる。
僕は20歳くらいから突然小説を読み漁るようになり、芥川賞の受賞作を毎年チェックしながら過去へ遡るように読んでいった経験がある。その中でも『ひとり日和』はひどく感銘を受けた作品で、今では内容も読後の感想も思い出せない小説ばかりの中、この作品だけは当時の感動を覚えている非常に印象深い作品である。(芥川賞受賞作ではその他には辻仁成の『海峡の光』も忘れられない。これには本当に打ち震えた)
この作品のストーリーはとてもシンプルで、語り手である知寿は埼玉を出て東京で暮らしたいと母親に告げ、だったら、と母親から東京に一軒家を持っている遠戚のおばあさん(吟子さん)を紹介される。そしてその吟子さんの家に1年間居候になるというある意味非常に淡々とした暮らしのストーリーである。
そのおばあちゃんというのは母方の祖母の弟の奥さんで、歳は七十を過ぎているという。
わたしの何にあたるのかはよくわからなかった。
「ひとり日和」p26
吟子さんは若い頃に旦那さんをなくした未亡人で、物語を通して若い繊細でみずみずしい感性を持った知寿によって観察され語られる。吟子さんの姿は時にコミカルでとても愛らしい。
知寿と吟子さんの二人の異なる世代の女性による同居生活は、各々のボーイフレンドとの恋愛や、知寿の若い時分の人生に対する苦悶などを挟みながら淡々と流れていく。
しかしその中で、両者の関係性も最初の関係性から徐々に変化をしていくのがはっきりみてとれる。
例えば物語の最初の方では、
「お年寄りは早起きだと思っていたが、そうでもないらしい。
吟子さんのほうが遅く起きる日もある。わたしは、玉子焼きや味噌汁など台所を使う料理はせず、そのへんにあるロールパンや紅茶などで朝食をすませる。吟子さんのぶんは用意しない。とはいえ、彼女が先に起きているときには、わたしのぶんの食事はちゃんと用意してくれる。……
わたしの世話をあれこれしてくれたのは最初の晩だけで、今ではほとんどほっとかれている。茶碗洗いは二日三日放置することもあるし、掃除機をかけるのも面倒らしく、猫の毛があちらこちらに落ちている。しばらく見て見ぬふりをしていたものの、ついこのあいだ思い立って家中を掃除してみた。特に礼を言われることもなかった。なんだかすっきりしなかったのだが、そんなもんか、ですませてしまった。それだけ関心がないのかと思うと、余計に力が抜ける。
「ひとり日和」p19、20
「吟子さんのような弱々しいおばあさんにどう思われようが、たいした問題ではなかった。あれほど歳をとってしまったら、もう大雑把な感情しか持っていないのだろうなあ、とぼんやり思っていた」
(「ひとり日和」p,30)
吟子さんはわたしが邪魔らしく、もう何も答えなかった。内心、はらはらしていた。この人、ほんとうに死ぬかもしれない。具合の悪い老人をどうすればいいのか、わたしは何も知らなかった。
「ひとり日和」、p32
「吟子さんと向かい合ってご飯を食べていると、ときどき自分がずっと歳をとってしまった気になる。
ある程度生きてしまった人を前にすると、その人はもうそれ以上老化することもなく、自分だけがそこにある老いに向かって猛スピードで転がり落ちていく気がする」
(「ひとり日和」、p55)
と言った風に、吟子さんはその若い新鮮な知寿の眼差しから語られる観察の対象であり、語られる吟子さんの行動からも知寿のセリフからも、二人はお互いに心の距離がある事がわかる。
しかし、物語が進むにつれ次第に知寿と吟子さんの心の距離が近づいて行く。
たとえば知寿の恋人の藤田くんを家に呼び、三人で夕食を食べる時など
「吟子さん、巣鴨とか上野に行かないの。おばあちゃんの原宿に」
「わたしは人ごみが嫌いだから」
「今度一緒に行こうよ。藤田くんも、ねっ」
という風に、知寿が吟子さんを外出に誘ったり、
吟子さんと一緒にいる時間が多くなった。最近は、夜のアルバイトにも行かなくなっていた。
「ひとり日和」p128
といった風に次第に知寿は吟子さんに懐いてゆく事がわかる。一方吟子さんの側も、二人の軽妙な会話の掛け合いなどからいつからか知寿に対して心を許しているのがなんとなくわかってくる。
居間に入ると、吟子さんが湯飲みを前にテレビを見ていた。向かい合ってこたつに入ると、ほらね、という顔で目を見開いて見せた。
「何その顔」
わたしはこたつに入って、なんでもないふうに新聞を広げた。そのあいだ、吟子さんがこっちを見ているのはわかっていて、いらいらした。
「聞いてた?」
「何が?」
「聞いてたくせに」
吟子さんはこんなときでもふふふと笑って、言う。
「人っていやね」
「……」
「人は、去っていくからね」
「ひとり日和」p120
吟子さんが、変なワンピースを着ている。肩幅が全然合っていない。腰回りのリボンは、ずいぶん下に落ちているし、下にコートを着ているのかと思うくらい、不自然にだぼついている。てるてる坊主に足が生えたみたいだ。
「何その格好」と冷たく言うわたしに、
「これ妊婦さんが着るやつね」
と答えてきたので、しばらく言葉を失った。とうとう呆けたかな、と思った。
「妊娠するつもり?」
「ほほ。できたらいいけどね」
「ひとり日和」p126
そして物語の終盤、知寿がアルバイトとして働いていた会社で正社員になる事が決まり、社員寮へ出ていく事になった二人で暮らす最後の日の会話。そこから、二人の互いに対する思いの深さが窺い知れるのだが、このシーンなど僕は見ていて本当に切なくなったものだ。
ほとんど人を乗せていない電車がいつもどおりすごい音を立てて走り去っていく。冷たい風が吹きつけるたびに、中に入ろう、と言いながら、ふたりともなんとなくそこに留まっている。お世話になりましたと言おうとしたのに、別のことを聞いていた。
「チェロキーちゃんたちの写真、壁を一周したらどうするの?二段にするの?あと十段くらいしか入らなそうだけど」
「その前にわたしが死んでるよ」
そうか、それくらいの命なのか、とわたしは納得する。もっと長生きできるよ、なんて歳が歳なだけに軽々しく言えない。
「死んだら、この家どうするの?」
「欲しいなら知寿ちゃんにあげる」
「え、親戚とかはいいの?きょうだいとかさ」
「いるけどここはやらん、みんな遠くにいるからね」
「じゃあもらう。この庭、秘密の花園みたくする」
「あの猫ちゃんたちの写真、捨てないでね。お棺に入れたりしなくていいからね」
わたしは、猫達の写真の隣に吟子さんの遺影が飾られるのを想像した。いつか吟子さんもその名前を失って、死んでしまったものの一つとしてその個性を失っていくのだろうか。誰も彼女について語らなくなり、何を食べていたとか何を着ていたとか、そんな些細な日常などもともとなかったかのように、あっさり消えてしまうのだろうか。
さっきから、右頬に吟子さんの視線を感じる。気付かないふりをして、わたしはイチゴのヘタを庭に投げていった。吟子さんは「おお寒い」と呟いてぎゅっと毛布を巻き直した。
食べるものも話すこともなくなって、さあ風呂わかそ、とわたしは立ち上がった。一瞬視界に入った吟子さんの目は、寒さからか少し潤んでいるようだった。いつだって、前もって予定していた別れは、予期せぬ別れよりやりづらい。
「泣かないでよ」
言い捨てて、風呂場に走った。
「ひとり日和」p158、p159
芥川賞選考委員による評価
この本が出版された2007年からもう10年以上が経った。ゆえに小説に関する細かいレビューやそのような見方があるのか、と思わされるプロ顔負けの書評はネットで検索をかければいくらでもみつかる。
よって、あえて僕が本書に関しての細かな批評をこれ以上することは控えたいわけだが、しかし本書が芥川賞受賞に選ばれるに至った選考委員の書評だけは面白いので軽く紹介しておきたい。
特に、選考の際に8人の選考委員の中でこの本を絶賛して受賞へ推したとされる石原慎太郎と村上龍両氏の評価は見逃せない。両氏は本作をこのように評している。
「都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。」「寄宿先の設定も巧みだし、特に、その家から間近に眺め仰ぐ、多くの人間たちが行き来する外界の表象たる駅への視線は極めて印象的で、(引用者中略)村上龍氏の鮮烈なデビュー作『限りなく透明に近いブルー』の中の、(引用者中略)遅く目覚めた主人公が、開け放たれたままの扉の向こうにふと眺める外界の描写の、正確なエスキースに似た、優れた絵画的な描写に通うものがあった。」
──石原慎太郎
芥川賞─選評の概要:http://prizesworld.com/akutagawa/senpyo/senpyo136.htm
「わたしは(引用者中略)推した。読んでいる途中から候補作であることを忘れ、小説の世界に入っていた。」「駅のホームは、作者が自らの視線と観察力を基に「構築」したものであり、作品全体のモニュメントのような象徴にもなり得ている。」「作者はそのような場所とその意味を、「意識的に」設定したわけではないだろう。」「作家は、視線を研ぎ澄ますことによって、意識や理性よりさらに深い領域から浮かんでくるものと接触し、すくい上げるのだ。」
──村上龍
同上
そのほかにも、選考委員の中では宮本輝と河野多恵子が本作を高く評価して受賞に推したとされる。とりわけこの当時80歳である河野多恵子は作品であれば吟子さんの側の立場にあり、本作に関する氏の評価は実に興味深い。
「今回、私は二作(引用者注:「ひとり日和」と「その街の今は」)を推した。」「主人公である二十歳の女性の、抑えた感情が終始一貫していて、それがこの小説に静かな哀しみの調べを奏でさせている。」「途中、冗長なところがあって、小説が長過ぎるのが欠点だが、読み終えると、それさえも、青春のけだるい生命力を表現するリズムと化していた。」
──宮本輝
同上
「落ちついて書いてある。この作者は見るべきところをしっかりと見ている。無駄がない。小説は表現するものであって、理屈で説明するものではないことも知っている。」「作者は極く若い人だが、若さの衒いや若さにまかせて書いている様子は全くない。私はこの人に本物の早熟を感じた。」
──河野多恵子
同上
「ひとり日和」となぜ異世代ホームシェアに関わろうと思ったか
さて、この「ひとり日和」の暮らしは個人的にはまさに異世代ホームシェアの一つの理想形である。そしてこの本を読んだ経験が、僕が異世代ホームシェアに関わろうと思ったことの後押しをしてくれた。
僕は、僕自身が未亡人である祖母と物語のように似たような経験をした事があった。20そこそこの頃の数年間、僕の喋り相手といえばこの世界に祖母の他におらず、なぜだかわからないが祖母の家でお昼に二人でお弁当をつつきながら話し合っていた光景が一番鮮明に残っている。
僕は何を祖母とあれほど話していたのだろう。
たしかそれは自分が勉強していて好きだった歴史の話だったり、政治の話だった。
ほかにも祖母が若い頃の恋愛話とか、昔の東京や横浜の街の風景の話だったり、他にも祖母の旅行の話なんかもよく聞いたように思う。
どんな話のあとにも毎回「人生何がいいかわからないからねぇ」というのが祖母の口癖で、当時は殆ど心にも響かずあまりに平凡でその反論のしようのない当たり前すぎる口癖が、後になればいやに耳に残るのだから不思議なものだ。
僕は自分自身で若者と高齢者の相性の良さを身をもって経験した。その経験があるから、世代が異なるが故に、互いの悩みや事情に対して親身になりすぎて感情の浪費負担をする必要もなく、いつでも気負うことなく気軽に互いの存在を迎えられることを知っている。
そしてこのような自分の感覚を、青山七恵の「ひとり日和」が後ろから支えてくれる。異世代ホームシェアの活動をしようと思った時、真っ先に思い出したのがこの「ひとり日和」だった。
良い小説は時代の問題を先取りをしている、と時々言われる。ひきこもりを始めとする「社会へ出たくない」という人間が問題になってきた昨今の問題を辻仁成の『海峡の光』もまさに十年以上前に表した作品だったし、本作『ひとり日和』も、まさに今の時代を表していた作品だったのではないか、そんなふうに僕は思っている。
勿論この物語のような同居が皆に可能だとは思わないが、現実に若者とシニアを今後どんどん引き合わせてゆこうと思う以上、出来れば物語の中での二人の関係性のように互いの人生に何かしらの影響を与えるような関係性を築いていってほしいものだ。
最近ではお笑い芸人「カラテカ」の矢部太郎が書いたコミックエッセイ『大家さんと僕』(新潮社/2017年10月)も同じように若者がおばあさんの家に間借りして同居をする二人の交流を書いた作品だという。
この作品も近々チェックしてみたいと思う。